大切ないのちを思い、ともにお念仏を
― 秋彼岸・施餓鬼法要のお話 ―
秋彼岸・施餓鬼法要では、生類供養塔の完成に寄せて、動物たちの供養と、私たち自身のお念仏についてお話しいたしました。
大切な存在の幸せを願い、供養を続けること。そして、その願いとともに、自分自身も阿弥陀さまを頼り、極楽往生を願ってお念仏を称えること。この二つを、皆様と一緒に大切にしていきたいと思っています。
皆様へのご報告と感謝
はじめに、私の体のことをご報告いたしました。三度の手術と抗がん剤治療を経て、五月の手術後、三か月の検査でも再発や転移は認められませんでした。今後も定期的な検査を受けながら、日々の生活を整えてまいります。こうして皆様の前でお話しできることを、ありがたく感じています。お支えくださっている皆様に、改めて心より御礼申し上げます。
生類供養塔に込めた願い
このたび光明寺に、「生類供養塔(しょうるいくようとう)」が完成いたしました。
ご家庭でともに暮らしてきた動物たちのご遺骨をお納めし、供養するための塔ですが、その名前には、身近なペットへの想いとともに、生きとし生けるものの命に感謝したいという願いを込めています。
ここにご遺骨を納めておられない方にも、いのちへの感謝をもって手を合わせていただける場所でありたいと思っています。開眼法要(かいげんほうよう)は令和八年十月八日午後二時からお勤めする予定です。お申し込みは不要ですので、お立ち会いを希望される方はどうぞお越しください。
あなたを知ることから、はじめたい
当日は、光明寺のホームページを開設したこともご報告いたしました。
「あなたを知ることから、はじめたい。
ともに悩み、ともに歩み、ともに極楽へ。」
この言葉には、私がどのような住職でありたいか、光明寺をどのようなお寺にしていきたいかという想いと願いを込めています。
幼い頃からお参りを通じてお付き合いのある皆様にも、まだ私の知らない歩みやお気持ちがたくさんあります。何を喜びとし、どのようなことに悩み、どのような思いを抱えておられるのか。長くお付き合いがあるからこそ、分かったつもりにならず、お話を聞かせていただきたいのです。
私にも、すぐに答えの出せないことがあります。それでも、お話を伺い、一緒に悩み、ともに考えることを大切にしたいと思っています。「この間、こんなことがあってね」と、日々の出来事も話していただけるお寺を目指してまいります。
ともに暮らす動物たちの命
今回の法話では、そのような私たちの暮らしを支えてくれる、動物たちの命にも目を向けました。
ともに暮らす動物は、家族の一員です。帰宅すると全身で喜びを表し、つらいときにはそばにいてくれる。その存在に、言葉では言い尽くせないほど支えられている方もおられるでしょう。
私にも、以前ともに暮らしていた犬との別れがあります。ある日、急に元気がなくなり、病院で治療を受けましたが、回復することなく亡くなりました。
「どこが痛いのだろう。何が苦しいのだろう。」
声をかけても、人間同士のように言葉で確かめることはできませんでした。大切に思っていても、その苦しみを十分には分かってあげられない。そのことを、身をもって感じた経験でした。
仏教では、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つの迷いの世界を「六道(ろくどう)」といいます。動物たちの境涯は、その中の「畜生(ちくしょう)」と呼ばれます。
耳にすると、抵抗を感じる方もおられるかもしれません。ここで目を向けたいのは、動物たちにも、私たちには見えにくい苦しみがあるということです。
野生の動物には、食べ物を得る難しさや、ほかの動物に襲われる危険があります。人と暮らす動物にも、病気や老いがあり、そのつらさを私たちに言葉で伝えることはできません。
そして、私たち人間も六道の中にあります。病気や別れ、思い通りにならない出来事に悩みながら生きています。動物たちの苦しみを思うことは、同じように苦しみを抱えて生きるいのちに、心を寄せることでもあるのです。
供養と回向に託す思い
大切な存在を亡くしたとき、「どうか安らかであってほしい」「苦しみを離れ、幸せであってほしい」と願うのは、自然なことだと思います。その願いをもって、私たちは供養をします。
「供養」とは、仏さまや亡き方などに、敬いと感謝の心をもって、花や香、食べ物などをお供えすることです。
そして「回向(えこう)」とは、お念仏や善い行いによる功徳を、自分だけにとどめず、大切な方やほかの命のために振り向けることをいいます。
「阿弥陀さま、どうかこの大切な存在をお導きください。」
阿弥陀さまのお慈悲を信じ、亡き大切な存在が苦しみを離れ、安らかであることを願って、お念仏を称え、その功徳を回向する。大切な存在への思いとともに、これからもそのお勤めを続けていきたいと思っています。
私たち自身も、お念仏の道を
そして、そのお念仏とともに、もう一つ大切にしたいことがあります。それは、自分自身も極楽浄土への往生を願うことです。
浄土宗では、阿弥陀さまの「必ず救う」というお誓いを信じ、極楽に生まれたいと願って、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えることをお勧めしています。
極楽浄土に生まれることを「往生(おうじょう)」といい、悟りを開いて仏となることを「成仏(じょうぶつ)」といいます。極楽は、苦しみを離れ、阿弥陀さまのお導きのもと、仏と成(な)る道を歩む世界です。
自分の力だけでは迷いや苦しみを離れがたい私たちにも、阿弥陀さまを頼り、お念仏を称えて往生する道が開かれています。そして、極楽に往生して仏と成り、今度は苦しむいのちを救い導くはたらきをする。それが可能な道が、お念仏の先にあります。
「あの大切な存在のために、何かできることはないだろうか。」
その思いを、回向へ、そして自分自身のお念仏へとつないでいただきたいのです。
大切な存在の救いを願うことと、自分自身の往生を願うこと。その二つを、ともに大切にしていきましょう。
大切な存在を思い、ともに極楽へ
このお話は、動物たちだけに限ったものではありません。ご先祖様や、先立たれたご家族、ご友人など、皆様にとって大切な方の供養にもつながります。
秋のお彼岸に、亡き大切な存在を思い、感謝を込めて回向する。そして私たち自身も、阿弥陀さまのお誓いをよりどころに、極楽往生を願ってお念仏を称える。
「ともに悩み、ともに歩み、ともに極楽へ。」
その願いを、これからも皆様と大切にしてまいります。
南無阿弥陀仏。
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